中学受験の下書き

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明治時代の修学旅行が壮絶でもはや旅行じゃない【悲報】

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1890年(明治23)年の福井県福井尋常中学校の修学旅行ルートを見つけました。これが東京への修学旅行ですが壮絶なのです。

福井県教育博物館だより 「福井初?修学旅行」

(1)福井尋常中学校
尋常中学校というのはざっくり説明すると今の中学・高校に当たるもので、よく聞く「旧制中学校の前身にあたります。今でいう中学1年~高校2年までの5年間通う学校です。福井尋常中学校は今は福井県立藤島高等学校となっています。

(2)今の福井の修学旅行
参考までに、Googleで福井 中学 修学旅行と検索すると、東京への修学旅行の話題が多数上がってくるので今では、福井の学校では東京への修学旅行は一般的なだと思います。

明治時代、130年前からそこらへんは変わっていないと考えると面白いですね。

(3)壮絶すぎる修学旅行のルート

ではルートをたどりましょう。

①移動 往路
まずこれにびっくりしました。

福井→敦賀 約60キロあるのですが、これがなんと徒歩60キロ。1泊2日です。有無を言わさず60キロというのがげんなりします。
この時代、この区間は公共交通機関がないのです、鉄道ができるのは6年後の1896年だそうです。

敦賀→大垣 鉄道
大垣→桑名 船
桑名→四日市 徒歩
四日市→横浜 船
横浜→新橋 鉄道
新橋→上野 鉄道馬車

4月7日朝6時40分に福井を出発し、東京上野到着が3日後の4月10日21時30分、3泊4日かかっています。

新橋から上野の鉄道馬車とはなんだろうと思いましたが、馬が線路の上を走る車を引く鉄道だそうです。蒸気機関を使ったものよりも馬を使った鉄道のほうが歴史があり、馬車より乗る心地が良いというメリットもあったようです。勉強になります。

②東京でのイベント 7日間

東京に7日間滞在します。修学旅行と考えると長いですね。3泊4日で移動してきているので7日ぐらいは滞在しなければ割に合わないということでしょう。
 
4月11日 自由行動 東京についた最初の日は自由行動になっています。さすがに休んだほうがよさそうです。ただ元気がありあまって遊びに行った生徒も多そうですね。

4月12日13日 内国勧業博覧会参観。
内国勧業博覧会は明治時代の日本で開催された博覧会で、国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的だったようです。

4月14日
帝国大学。初代総長、渡辺洪基と面会。1890年は東大ができて13年目ですね。渡辺洪基ははるばる福井から来た生徒に対して、学業に励み郷土の事業、ひいては国内の事業を応援して欲しいと言ったそうです。
さらに帝国大学に多数の福井県人が入学することを希望している」と激励したそうです。軽い大学の宣伝ですね。

なお冒頭のリンクからは渡辺洪基の話した原文が読めます。

4月15日
帝国大学工科大学(東京大学大学院工学系研究科)。
当時最新の技術に触れるということは衝撃を受けそうです。

4月16日
高等商業学校(現一橋大学
松平慶永に面会。幕末から明治初期にかけての大名、政治家。16代越前福井藩主だったので面会したのだと思われます。
生徒は激励の言葉に感動したと言われています。

4月17日
自由行動

③移動 帰路
いよいよ帰路です。
新橋→名古屋 鉄道 12時間
名古屋→米原 鉄道 2時間45分
米原敦賀  鉄道 1時間50分 鉄道なので速いですといっても1泊2日で30時間です。
今ならどうなのだろうと、乗り換えソフトで調べてみると、新幹線、特急を使って3時間10分程度でした。現代、すごい!
敦賀→福井は 徒歩 60キロ 1泊2日。最後は歩かなければいけません。げんなり疲れた顔が頭に浮かびます。

途中、ところどころ10キロ20キロ歩いているので、このぐらいの距離は歩くのが普通だったのだと思います。他に移動手段がない場合歩くしかないのだと思いますが。

(4)まとめ

全部で14日、そのうち移動で7日。東京でのイベントが7日という構成です。
・自由行動2日
東京大学一橋大学の訪問見学(将来に向けてという部分もあったと思います)
そして当時産業発展を後押ししていた内国勧業博覧会
福井藩主と面会

内容としては60キロ歩く価値は十分にあると思います。誰でも行けるというわけでもなかった時代です。130年昔も今も福井の修学旅行は東京というのがなんか面白いなと思いました。